−上州風19号− からちょっと立ち読み

■特集 「草津国際音楽祭」25年 アカデミーを創った男たち/世界の演奏家120人

●ぐんまの老人力 ねんりんピックぐんま開催
●地名の風景
●骨董市を歩く


『湯のまちに花開いた草津音楽祭ことしで25年』
湯畑から北へ約2`、シラカバやカラマツが映える標高1200bの高原の中に六角形のコンサートホールがある。白根山を間近に望み大自然の懐に抱かれたこの音楽堂は、夏の音楽アカデミーの演奏会場となる。その音響の素晴らしさや、木の温もりをたんのうできる造りは、訪れる聴衆を魅了してやまない。−19号から抜粋−
アカデミーを創った男たち−豊田耕兒、遠山一行、井阪紘 
 
◆豊田耕兒−純粋な音楽を実現したい(本文から抜粋)

『運命的出会いから始まった』
今から26年前の1978年、群饗は大きな転換期を迎えていた。演奏会入場者の伸び悩み、慢性化した財政赤字…。楽団存亡の危機を感じていた当時の事務局長、丸山勝弘(故人)は起死回生の策として、ベルリン芸大教授だった豊田の音楽監督就任を要請するため、豊田が夏期講習で訪れているベルギーへと飛んだ…。この2人の出会いが、草津音楽アカデミー誕生への第一歩となる。
(途中から)
「原点に帰って、人間の精神文化としての純粋な音楽、商業かされていない本当にすばらしい音楽をアカデミーで実現したい、というものでした。そのために、講師には名前にこだわらず、志をもって損得抜きでやっていくれる人を選びました。特に、知名度は低くても皆から尊敬を集め音楽的影響力の大きい年長の演奏家に注目しました」。
 
◆遠山一行−音楽を信じ大切にすること(本文から抜粋)

1990年以降、音楽監督と豊田から引き継いだ遠山は、大学時代に美学を専攻し1950年代には欧州へ留学。現地で指揮者のフルトヴェンクラーやピアニストのコルトーら多くの巨匠の名演に接した。音楽の背後にある作曲家の意図や霊感を探り、熱い共感とともに音楽のドラマを具現化したフルトヴェングラー。「ミスタッチさえ詩的」といわれ、情熱と躍動にあるれるピアニズムを確立したコルトー。
(途中から)
「技術というものは、きりがない世界です。トップを極めたつもりでも、もっとうまい人が出てくればダメになってしまうわけで、技術を超えた部分、つまり音楽のプラスアルファをいかに出せるかが大切なのです。草津では、技術に偏重しないすばらしい講師陣からこうしたところ学んでほしいのです。」
 
◆井阪紘−可能性を引き出してもらう場(本文から抜粋)

一回目のアカデミーは、東京を飛び越えて草津でクラッシックの国際的な音楽祭が開かれるという話題も手伝って各マスコミで取り上げられ、予想を上回る集客と収めた。初回ということもあって、スタッフは全員ボランティアでボランチィアでノーギャラだったため、赤字は最小限に抑えられたが、翌年はきちんとギャラを払ったところ2500万円の赤字に。マネージメント担当・井阪の苦難はこの時から始まる。
(途中から)
「日本の音楽大学での教育は家元制度に近く、1人の先生に師事したら違う先生に教えてもらうことは非常に難しいわけです。草津では、先生と生徒が対等な立場で学び、新たな師との出会いによって自分を見つめ直すとともに、自分がどれくらいの可能性があるかを一流の演奏家の卓見によって引き出してもらう場でもあるのです」。