上州風
<特集>「せんせい」
  ■米国に「日本学」を育てた上州人 角田柳作
   ドナルド・キーン氏インタビュー
  ■すりばち学校の「きご先生
  ■境町島小11年「未来を見つめ」

<特集> 米国に「日本学」を育てた上州人 角田柳作   ドナルド・キーン氏インタビューより

「一人でもいい」  ドナルド・キーン氏インタビュー 抜粋
 第二次世界大戦直前、米国コロンビア大の教壇に一人の上州人が立っていた。決して多くはない受講生に対しても手を抜かず、下準備に時間をかけ、生徒が入室するまでに黒板いっぱいに英語と日本語で資料を板書していた。この講師が角田柳作だった。その教え子の一人、日本文学研究家のドナルド・キーンさんは著書『少し耳の痛くなる話』の中で記す。「生徒のために時間を費やすことを、先生は全く意に介されなかったのである。いつの間にか私は、真に日本的な意味における”弟子”になっていた」と。今も精力的に日本の幅広い文化の研究に取り組むキーンさんに、恩師「ツノダセンセイ」について聞いた。
ドナルド・キーン
(Donald Keene )

1922年、ニューヨーク生まれの日本文学研究家。コロンビア大学で角田柳作と出会うも第二次世界大戦が起こり、海軍で日本語学校に入り軍務に。戦後、再びコロンビア大に戻り角田と再会、大学院で日本文学研究を本格的に行う。ハーバード、ケンブリッジ、京都大学にも学ぶ。日本文学、日本文化に造詣が深い。角田柳作の愛弟子。コロンビア大で後進の指導を行う一方、半年間は日本で暮らす親日家。著書は『日本との出会い』『日本文学のなかへ』『日本の文学』ほか多数。『日本文学史』など大著も。日本文学の訳書も多く近松物から太宰治、三島由紀夫、安部公房まで幅広く海外に紹介している。
「角田センセイの思い出」

 □角田柳作との出会い、その時の印象について

 初めて先生にお目にかかったのは昭和十六(一九四一)年、九月だったと思います。コロンビア大学の新学期は九月開始ですから。私はその年の夏、友人の別荘で日本語の勉強を始めたばかりでした。家庭教師のもとで勉強をしたわけなのですが、ほとんど日本語は知らなかった。日本についての知識も当時は今の日本の小学校二年生くらいの知識しかありませんでした。ただ、別荘の持ち主は角田先生の講義を受けたことがあり「ぜひ講義を受けたほうがよい」と言っていました。私は彼の話に従って受講手続きをし、教室に行きましたが、生徒は私一人でした。当時は日米の戦争が始まる三カ月前で、日本の評判もよくなかったと思います。とにかく、一人の学生だけなので、私は先生が大変気の毒になりました。しかも、日本のことをほとんど知らない私のような学生のために講義するのはもったいないという気持ちでした。私は「なんなら私やめます」と言いましたが、角田先生は「一人でもいい、やります」とおっしゃったので、大変感激しました。三週間ぐらいは私一人に対する講義が続きました。その後に日系人など二、三人の仲間が加わりました。角田先生は、講義の準備も万全でした。私たちが教室に入る前に黒板に漢字などいろんなことを書いていました。また、私たちの質問に正確に答えるためにたくさんの本を持ち込んでいました。
 わずかの学生に対する先生のすばらしい講義は、「日本のことを知ってもらいたい、正しい日本の知識を伝えたい」という気持ちが強かった。そのためには自分が犠牲になってもいいという態度でした。当時、先生は六十数歳でしたが、「厳しい先生」でありながら、同時に「愛される先生」で親しみがわきました。