上州風
<特集>「映画 この楽しきもの」
  ■鼎談 「映画と風土」
   大澤豊・小栗康平・飯塚俊男
  ■映画「カルメン故郷へ帰る」 そのずっと奥にある風景を求めて
  ■IsaMA 歩みだした映画のまち 
    「月とキャベツ」篠原哲雄監督に聞く
    IsaMAで生まれた映画「独立少年合唱団」
  ■空っ風が生んだ脚本家 
八木保太郎 墓碑銘は「限りなき前進」 
   新藤兼人監督が語る「田園から直に映画界へ」

<特集:「IsaMA 歩みだした映画のまち」より 一部抜粋>

それぞれのIsaMA映画の力に触れた人々 

 伊参(いさま)スタジオは、多くの映像を生んできた。
山崎まさよし初主演の映画『月とキャベツ』(篠原哲雄監督)も、その一つ。
映像に写る美しい自然と心地良い音楽、切ないストーリーにひかれ、
いつしかたくさんの若い女性ファンが訪れるようになった。
 主人公花火の家、自転車の坂道、月の丘、「『月とキャベツ』の舞台に行きたい!」の一心で集まる、多くのファン。
地元住民は「なぜ、こんな何もない町に?」と戸惑いながらも受け入れている。

 

●訪問者ノート
 伊参スタジオと旧栃窪分校にある訪問者ノートには、北海道や岡山、志賀、福岡など全国から訪れたファンの言葉がぎっしり詰っている。
「念願かなってようやくきました。九州からの道のりはすごく遠い。中之条最高っす!」
「本当に山奥の隠れ家だね。花火の隠居生活がうらやましい」
「こんなにもまさやん(山崎まさよし)のファンが全国から訪れているなんて。鳥肌が立つほど感動した」
「ただいま〜って気持ち。山田のおっちゃんは相変わらずニコニコ出迎えてくれました」
 映画を見たファンにとって、中之条町は「一度、訪れてみたい場所」として特別な意味を持ち始めた。数少ない情報を頼りに迷いながらロケ地を探しにやってくる。道を尋ねようと、すれ違った住民に声を掛けると予想以上の親切を受ける。野菜をもらったり、故障した車を面倒みてくれたり、宿の手配をしてくれたり。暗くなった上り坂で自転車を押していたところ、タクシーの運転手が伊参スタジオまで乗せていってくれたこともある。町のあちこちにこうした“心あたたまるいい話”が転がっている。美しい自然と思いがけない住民との触れ合いに感激し彼女たちは安らぎの一時を過ごす。そして、中之条町は今では何度も訪れる第二の故郷のような存在になった。

●ISAMAの顔「おっちゃん」
 伊参スタジオに集う人々にとって欠かせない存在なのが、管理人の山田藤吉さんだ。素朴で温かみがあり、その笑顔からはやさしさが溢れている。「山田のおっちゃん」の愛称で親しまれ、何でも話せる良き相談相手。山田さんに宛てられた手紙は五百通を越える。留学先や海外旅行先からも届き、すべてスクラップし大切に保存している。「手紙や年賀状、来たものは全部返事を書いているよ。それが楽しみなんだよ」と山田さん。
 ホームページ(HP)「宇宙のひみつはちみつなはちみつ」の開設者で前橋市に住む遠藤瑞映さん(29歳)が伊参を訪れたのは四年前の秋。一九九八年二月にHPを開設してからアクセス数は、約六十五万件にのぼる。遠藤さんは「HPを作ったのは、この映画を作ってくれた篠原監督やまさやんへの感謝の気持ちから。それと、『こんないいところがあるんだよ』ってみんなに教えてあげたかった」。
 HPには、「もし、あなたが今、何かにつまずいていたり、次の場所が選べないで立ち止まっていたとしたら…ちょっとだけ、足を延ばしてあの花火の家を訪れてみて下さい。夏休みが終わる頃には…何かが見えてくるかも知れませんよ」という言葉とともに中之条町の地図や仲間同士のやりとりなどが掲載されている。遠藤さんは、HPで知り合った仲間百人以上と会い、ロケ地を案内してあげるなど全国に広がるファンの橋渡し役でもある。

●若者達のISAMA

 伊参スタジオにやってくる多くは高校生から二十代の女性。山田さんが語るエピソードは山ほどある。手紙のスクラップブックをめくりながら「この子はロンドンに留学していて『帰国したら最初に中之条に行きたい』って、本当に来たのにはびっくりしたね。だって帰国して一週間、しかも大雪の日だったもの」「昨年は嬬恋村の畑を借りて三十人ぐらいでキャベツを育てて収穫した」「インターネットで交流を深めた秋田県と神奈川県の子が初めてここで顔を合わせたこともあるよ」と次々に説明してくれる。
 山田さんは、彼女たちのことをどう見ているのだろう。
 「映画を見てぶらっとやって来る。大自然に囲まれた古ぼけた校舎に自分の幼い頃を思い出したり、まさやんの歌声が響いてくるような映画そのものの環境に感動し疲れた心を和ませる。そして同じ思いの人たちと出会う。ライブ会場で見かけた人と伊参やロケ地で出会って無二の親友に発展する場合もある。ここを拠点に親ぼくの輪を広げてくれるのが何よりうれしい」
 時には、思いつめて来る子もいる。
 三年前の三月、山田さんは近所の知らせで、物置の隅で寒くてブルブル震えている少女を見つけた。「家に連れていって暖かいご飯を食べさせてあげたら、泣きながら自分のことを話してね…」。
 中学三年の少女は、自分の志望校を受験させてもらえず、試験当日、家を飛び出したという。「秋田の子なんだけど、映画を見て中之条へ行こうと決めていたんだね。(『月とキャベツ』の)ビデオ一本持ってやって来たよ」。終電で中之条駅に着き、駅の待合室で夜を明かし、翌日、伊参スタジオまで歩いてきたという。「二、三時間、話を聞いたかな。『親に心配をかけちゃいけない』『高校は受験して卒業すること』と話したんだよ。辛い思いをしてるんだなと思ったら、こっちも泣けて来ちゃってね。最後は笑えるようになって無事親元に帰ったけど」。少女は翌年、家族全員でお礼に来てくれたという。
 「おじさんに会わなかったら、私はこの世にいなかった」と書かれた手紙もある。
 「去年の夏、一人でやってきた。話しているうちに少しずつ悩みを打ち明けてくれたよ」。手紙には次のような文章が続いている。「『若い時の苦労は幸せになるための貯金である』そう書いてくれたおじさんの言葉忘れません」

 人生の秘密は滅多に明かさないが、自分自身が若いころ、相当苦労した。中学卒業後、東京へ旅立ったが「復興前の焼け野原で、一人で生きていくのは生半可でなかった。働きながら夜学に通い、お金がなくなると、恥を忍んでそばやに行き、やかんいっぱいに入った無料のそば湯を飲んで空腹を満たしたこともある。生き延びることに懸命だった」と振り返る。小さいころ家族と生き離れ、寂しく暮らした苦い経験もある。だから、悩みを抱えた彼女たちを放っておけない。他人事と思えないから。話を聞いて気持ちを楽にさせてあげたい。「必ずいい時が来るよ」と。

●住民たちのISAMA
 伊参に集う人々は何も遠くからだけではない。映画は、町在住の会社員・湯本里絵さん(30歳)や町企画課の福田由香さん(27歳)にも変化をもたらした。湯本さんは「中之条で生まれ育ってこんなにうれしい気持ちになったのは初めて。伊参は自分が落ち着ける場であり新しい交流の場。ここからいろんな友達ができた」と喜ぶ。福田さんも「とにかくリピーターと口コミがすごい!これも山田さんがいるから」と話す。
 町役場の職員も「撮影して何年も経つのに未だに電話が殺到する。この持続性はなんだろう」、「栃窪は一番奥にある小さな集落。町に住んでいてもなかなか行かない場所を訪ねてくるなんて」と戸惑いながらも、「まちづくりのヒントになった」、「ノートの記入者だけで年間一万人以上。中之条のよさを全国に発信してくれる人たちに感謝したい」と町を見詰め直すきっかけになっていると話す。
 ちょっとしたつまずきを感じた時、『月とキャベツ』という映画に出会えた。ロケ地を訪ね、そこで同じ思いをした仲間と出会った。自分の殻に閉じこもり、田舎で隠居生活をしていた花火が、ヒバナによって癒され次の一歩を踏み出したように、ここで出会った美しい自然や地元の人々、仲間が元気を与えてくれ、自分らしさを取り戻した。再び心のあかりを灯してくれた大切な場所、それが映画であり、中之条町であり、伊参スタジオなのである。

●「星を見よう」
 一九九九年十一月、山田さんは伊参スタジオで行われた山崎まさよしのコンサートに合わせ、「星を見よう」という名の宿泊施設を作った。六畳と四畳半だけの“日本で一番小さな宿”だ。宿を作った理由は二つある。一つはロケ地めぐりに訪れたファンが安く泊まれる場所を提供するため。もう一つは若者に元気をもらいながら自分自身上手に老いたいから。
 藤吉さんとともに彼女たちの心の支えになっているのが妻・正子さん(63歳)。「話をじっくり聞いてくれるから楽になるんじゃないかね」と太陽のような笑顔で見守る。宿泊者数は、既に二百五十人以上。
 「星を見よう」の入口には、こう書かれている。


−お帰りなさい お疲れさま
「星を見よう」は、そんな雰囲気で待っています。
友だちとゆっくりおしゃべりしたい。疲れた心をいやしたい。静かに自分を見つめてみたい。
そんな時、羽を休めるひとときのとまり木になればと願っています−